夜中、暗いろうかの真ん中で、猫が空に向かって鳴いている。呼んでも振り向かない。朝になると、トイレのすぐ横に粗相の跡が残っている——。長く一緒に暮らしてきた猫にそんな変化が現れると、「もしかしてボケてしまったのだろうか」という言葉が、ふと胸に浮かぶのではないでしょうか。
人と同じように、猫も年齢を重ねると脳の働きが少しずつ変わっていくことが知られています。獣医療では「認知機能不全症候群」と呼ばれ、夜鳴きや徘徊、トイレの失敗といった形で現れると説明されています。ただ、ここでとても大切なことがあります。同じような変化は、甲状腺の病気や高血圧、関節の痛み、耳の聞こえにくさなど、まったく別の理由でも起こるということです。そしてその見分けは、残念ながらご家庭ではつきません。
この記事では、当メディア編集部が、コーネル大学猫健康センターや日本の獣医師会・獣医専門誌が公開している解説をもとに、高齢の猫に見られる認知機能の変化と、よく似た症状が出る他の病気、家でできる環境の工夫、そして動物病院に相談する目安を静かに整理しました。診断や治療そのものは獣医師の領域です。この記事は、その前に落ち着いて状況を整理するためのものとしてお読みいただければ幸いです。


一言でいうと、猫にも認知機能不全症候群(いわゆる認知症)は起こるとされていますが、夜鳴き・徘徊・トイレの失敗・反応の薄さは他の病気でも現れるため、家庭で「ボケた」と決めることはできません。獣医療では、他の病気を検査で除外したうえで総合的に判断される、という考え方が取られています。
猫も「ボケる」ことがあるとされています|何歳ごろから

猫の加齢にともなう行動の変化は、獣医療で「認知機能不全症候群(Cognitive Dysfunction Syndrome)」または「高齢性認知機能不全」と呼ばれています。コーネル大学猫健康センター(Cornell Feline Health Center)は、これを人のアルツハイマー病や老年期の認知症に似た徴候を示す、少しずつ進行していく状態として解説しており、行動の変化がはっきり分かるようになるのは10歳以上の猫が中心だとしています。公益社団法人埼玉県獣医師会も、症状が現れるのはおおよそ10歳以上としています。
年齢とともに割合が増えていくと報告されています
米国の獣医師向け専門誌 Today's Veterinary Practice に掲載された総説では、猫の認知機能に関する調査として、11〜14歳の猫の28%で人や同居動物との関わり方に変化が見られ、15歳を超えた猫では50%で目的のはっきりしない動きや過剰な鳴き声が見られたと紹介されています。また、6〜8歳という比較的若い段階で、行動には表れないものの脳の組織に変化が見つかることがあるとも記されています。
つまり、認知機能の変化は「ある日突然始まるもの」ではなく、見えないところで少しずつ進み、シニア期に入ってから行動として表面化してくるものだと考えられています。「最近ようすが変わった」と感じたのが16歳だったとしても、その手前から静かに始まっていた可能性がある、ということです。
「年をとったから」で片づけないほうがよい理由
加齢による自然な変化と、病気による変化は、外から見ただけでは区別がつきません。埼玉県獣医師会は、認知症は特定の検査だけで判定できるものではなく、関節炎・視覚の障害・膀胱炎・心臓病といった他の病気がないかを確かめたうえで総合的に判断するものだと説明しています。「年だから仕方ない」と受け止めてしまうと、治療で楽にしてあげられる状態を見過ごしてしまうことがあります。この点が、この記事でいちばんお伝えしたいところです。
「ボケたかも」と感じるとき、よく見られる変化

獣医行動学では、犬や猫の認知機能の変化を「見当識(方向や場所の感覚)」「人や同居動物との関わり方」「睡眠と覚醒のリズム」「排泄の失敗」「活動性の変化」「不安の強まり」という枠組みで整理する考え方が知られています。猫ではさらに、鳴き声の変化とグルーミング(毛づくろい)の変化を加えて見るとよいとされています。ここでは、ご相談の多い4つを取り上げます。
夜鳴き|夜中に大きな声で鳴き続ける
コーネル大学猫健康センターは、認知機能不全に関連する行動として、しばしば夜中に起こる発声のエピソードを挙げています。埼玉県獣医師会も、今までになかった鳴き方をする、鳴くことが増えるといった変化を挙げています。昼と夜のリズムが崩れ、家じゅうが寝静まった時間に起き出して鳴く、という形で気づかれることが多い変化です。
ただし、夜鳴きは認知機能の変化だけで起こるものではありません。後述する甲状腺の病気や高血圧、痛み、耳の聞こえにくさでも同じように現れると説明されています。
徘徊|同じところを行ったり来たりする
コーネル大学猫健康センターは、空間的な見当識の低下、見慣れないはずの場所へ迷い込むこと、壁や空間をぼんやりと長く見つめることなどを挙げています。家具の配置は変わっていないのに部屋の隅で立ち止まる、いつもの通り道で戸惑うといった様子は、この文脈で語られることがあります。
トイレの失敗|今までできていた場所でできなくなる
トイレ以外の場所での排泄も、代表的な変化として挙げられています。一方で、トイレの失敗は膀胱炎などの泌尿器の病気、あるいは関節の痛みでトイレの縁をまたげないことでも起こります。「粗相=認知症」と結びつけず、まず体の状態を確かめるのが安全です。
呼んでも反応が薄い|関わり方が変わる
名前を呼んでも振り向かない、なでられるのを嫌がるようになった、逆に前より甘えるようになった——こうした関わり方の変化も挙げられています。反応が薄い背景には、耳の聞こえにくさ(難聴)や視力の低下があることも少なくありません。聞こえていないだけであれば、それはそれで暮らしの工夫が変わってきます。
認知症とよく似た症状が出る、ほかの病気

ここが、この記事の中心です。コーネル大学猫健康センターは、認知機能不全に似た徴候を示すものとして、関節炎・腎臓の機能低下・甲状腺機能亢進症・高血圧・歯周病、そして脳の炎症や腫瘍などの神経疾患を挙げ、これらを除外したうえで考える必要があるとしています。獣医専門誌の総説でも、認知機能不全は他の病気を除外して初めて診断されるものだと繰り返し述べられています。
| 似た症状を起こす状態 | 重なりやすい様子 | 知られていること |
|---|---|---|
| 甲状腺機能亢進症 | 落ち着きのなさ・鳴きの増加・活動性の変化 | 日本臨床獣医学フォーラムは、とくに10歳以上に集中して見られ、症状に関係なく検査すると1割以上が持っていると説明しています |
| 高血圧 | 夜間の落ち着かなさ・ぶつかる・急に見えていない様子 | 猫では慢性腎臓病や甲状腺機能亢進症などに続いて起こる続発性が多いとされ、網膜への影響が指摘されています |
| 関節の痛み(変形性関節症) | トイレの失敗・段差を避ける・触られるのを嫌がる | 12歳以上の猫のレントゲン調査で、90%に関節の変性所見が見られたとの報告があります(JAVMA・2002年) |
| 難聴・視力の低下 | 呼んでも反応しない・大きな声で鳴く・不安げに歩く | 感覚の低下は認知機能の低下と区別しにくいとされ、除外すべき項目に挙げられています |
| 慢性腎臓病 | 飲水量や排泄の変化・元気のなさ・体重の減少 | 高齢猫に多い病気として知られ、高血圧の背景になることがあると説明されています |
| 口の痛み(歯周病など) | 食べ方が変わる・不機嫌・触られるのを嫌がる | コーネル大学猫健康センターは、除外すべき状態のひとつとして歯周病を挙げています |
この表を見ていただくと分かるとおり、症状の見え方だけでは重なりが大きすぎて、どれなのかを絞り込むことはできません。甲状腺機能亢進症のように血液検査で分かるもの、高血圧のように血圧測定で分かるもの、関節の状態のようにレントゲンで確かめるものがあり、いずれも家庭では判断できない領域です。そしてこれらは、見つかれば獣医師のもとで対応できる状態でもあります。
家庭では見分けられません|受診の目安と、病院で行われること

埼玉県獣医師会は、認知症は特定の検査で判定できるものではなく、他に体の異常がないかを確かめたうえで総合的に判断するものだと説明しています。動物病院では、身体検査に加えて、血液検査(甲状腺ホルモンの測定を含むことがあります)、尿検査、血圧測定、レントゲン検査などが状況に応じて行われると説明されています。何をどこまで行うかは、猫の年齢や状態を見て獣医師が判断します。
受診の目安として、次のような様子が続いている場合は、様子見を長く続けずに一度ご相談ください。あくまで一般的な目安であり、判断の代わりになるものではありません。
- 夜間の鳴き声が数日以上続いている/急に始まった
- 体重が減っている、または食欲や飲水量が明らかに変わった
- 今までできていたトイレが、繰り返しできなくなっている
- ものにぶつかる、段差でつまずく、歩き方が変わった
- 触られるのを急に嫌がる、抱き上げると鳴く
- 呼んでも反応しないことが増えた
受診の前に、変化が始まった時期、鳴くのは何時ごろか、1日に何回か、体重の推移、食事と水の量をメモにまとめておくと、診察がとてもスムーズになります。可能であれば、夜鳴きや歩き方の様子を短い動画で撮っておくと、診察室では見られない姿を獣医師に伝えられます。
なお、認知機能の変化そのものについては、食事やサプリメント、薬が検討されることがあると報告されていますが、何をどう使うかは検査結果と猫の状態を踏まえて獣医師が判断する領域です。市販のものを自己判断で始める前に、必ずかかりつけにご相談ください。
家でできる、暮らしの工夫

埼玉県獣医師会は、認知機能の変化に対しては薬よりも環境の見直しが重要だとしています。コーネル大学猫健康センターや獣医専門誌の解説で挙げられている工夫を、取り入れやすい順に整理しました。いずれも「治す」ためのものではなく、猫が戸惑わずに過ごせるようにするためのものです。
1トイレを近く・低く・分かりやすく
コーネル大学猫健康センターは、トイレは行きやすい場所に置き、縁の低いものにすることをすすめています。過ごす時間の長い部屋にもうひとつ増やすと、間に合わないことが減る場合があります。
2移動の負担と危険を減らす
段差にはスロープを、階段や高い場所への上り下りが難しそうなら踏み台を。滑る床には滑り止めを敷き、通り道にはものを置かないようにすると、迷いやふらつきが事故につながりにくくなります。
3夜のあかりと、いつもどおりの生活リズム
夜間にほんのり足元が見えるあかりを残しておくと落ち着く子がいる、と紹介されています。食事や就寝の時間、家具の配置を大きく変えないことも、混乱を減らすうえで大切だとされています。
4穏やかな刺激を、無理のない範囲で
窓の外を眺められる場所をつくる、短いおもちゃ遊びを続ける、食事に小さな工夫を加えるなど、感覚を使う機会を保つことがすすめられています。疲れさせない範囲で、猫のペースに合わせるのが前提です。
5環境を大きく変えない・新しい同居動物を急に迎えない
コーネル大学猫健康センターは、ストレスになりうる新しい動物を迎えることを避けるよう挙げています。引っ越しや模様替えなど、大きな変化はできる範囲で控えめにしていただくと安心です。
そして、定期的な健康診断です。年齢が進むほど、見た目には分からない変化が体の中で起きていることがあります。半年に一度など、かかりつけの獣医師とペースを相談しておくと、変化に早く気づけます。
夜鳴きが続くとき、飼い主さんの負担のこと

夜鳴きが毎晩続くと、眠れない日が重なります。トイレの失敗が増えれば、片づけの回数も増えていきます。「かわいそうだと分かっているのに、しんどいと思ってしまう」——そう感じてしまうご自身を、どうか責めないでください。介護の負担は、実際に重いものです。
叱っても、猫には何が起きているのか分かりません。むしろ不安が強まって、鳴き声が増えることもあると説明されています。声をかけて安心させる、そばに行く、それでも難しい夜は寝室を分けて休む。そうした割り切りも、長く続けていくためには必要な工夫です。
ひとりで抱えないための方法もあります。かかりつけの獣医師に「夜眠れていない」と正直に伝えること、家族で夜の当番を分けること、日中に少し休む時間をつくること。飼い主さんが倒れてしまわないことは、猫にとっても大切なことです。介護の相談に乗ってくれる動物病院や、ペットシッター・老猫のあずかりサービスがある地域もありますので、限界の前に選択肢を調べておくと心が少し軽くなります。
いつかのお別れに向けて、いま考えておけること

認知機能の変化がある猫との時間は、思っていたより長く続くこともあれば、他の病気が見つかって急に景色が変わることもあります。どちらであっても、いま一緒にいられる時間そのものが変わるわけではありません。今日の寝顔をひとつ覚えておく、写真を撮っておく——そんな小さなことが、後になって支えになったという声はよく聞かれます。
そして、もしものときのことを少しだけ知っておくと、その日が来たときに慌てずに済みます。悲しみの中で急に調べものをするのは、想像以上に負担が大きいものです。無理に読む必要はありませんが、心の余裕があるときにそっと目を通しておく、くらいの気持ちで受け止めていただければと思います。
お別れのあとに訪れる気持ちの揺れについても、知っておくだけで少し楽になることがあります。「もっと早く病院に連れて行っていれば」と自分を責めてしまう方は少なくありません。
よくある質問
※本記事は一般的な情報の提供を目的としたもので、診断や治療の代わりになるものではありません。気になる症状は動物病院にご相談ください。記載内容は執筆時点(2026年7月)に公開されていた獣医療機関・獣医師会・獣医専門誌の情報にもとづいています。
まとめ
猫にも認知機能不全症候群は起こるとされ、10歳を過ぎたころから夜鳴き・徘徊・トイレの失敗・反応の薄さといった形で気づかれることがあります。けれども同じ様子は、甲状腺機能亢進症や高血圧、関節の痛み、難聴、慢性腎臓病、口の痛みでも現れます。そしてその区別は、血液検査や血圧測定、レントゲンなどを行える獣医師でなければつけられません。
ご家庭でできるのは、変化の記録を残すこと、トイレや足元など暮らしの環境をやさしく整えること、そして無理をしすぎないことです。「年のせいかもしれない」と思ったときこそ、一度診てもらう。それが、まだ楽にしてあげられる状態を見つけるいちばんの近道になります。
長い時間をともに過ごしてきた猫との毎日が、これからも穏やかでありますように。